2013年04月25日

DIVE2の人形たち

とーきです。

 

前回まで、

だいぶつ時代に製作された人形たちを

いろいろ(ほんの一部ですが)紹介しました。

同じパターンで今回は、

卒業後のOB劇団「DIVE2」で製作された

人形たちを紹介します。

 

学生時代に培った技術と知識が応用されて、

少し高度な人形が製作されました。

 

 

平成6年の「サル」です。

口パクですが、

内部の指を別々に操作できるカラクリを仕込んで、

「キーッ!」

と歯を剥き出しにする表情が作れるよう、

口と唇が別々に動く二重構造になっています。

  

この人形は平成10年、11年、18年の

それぞれ別の作品にも

違うキャラクターで流用されました。

 

 

同じカラクリを応用し、

唇を操作していた箇所を眉毛につなげて、

目の表情を変化させられる人形をつくりました。

 

平成8年の作品「犬」です。

「ポチ」とも呼ばれています。

飯田ミッドナイトの公演中に、

「あの人形の眉毛、動いてる?」

「動いてないよ。動くワケないだろ」

「動いてるって」

との客席のヒソヒソ声を耳にした演出のゴローが

心のなかで「よしよし」

と微笑んだらしいです。よしよし。

平成9年、10年、11年、18年、24年の

それぞれ別の作品で、

同じキャラクターでも違うキャラクターでも、

何度も再利用されています。

 

 

平成11年の「ネコ」です。

大中小3つの人形を作り、

舞台セットの上中下段を飛びまわり、

遠近感をだす工夫を試みました。

  

後に、この人形たちを活用するために

「ネコレンジャー」の脚本を書き、

平成13年の飯田でブレイクしました。

 

 

その「ネコレンジャー」を

23年の「矢田の里・人形劇まつり」

でリメイクした際の、主役の王子の人形です。

だいぶつで不要になった持ち主不明の人形の頭と、

過去にDIVE2で作った人形の胴体を、

つなぎ合わせて作りました。

 

 

学生にくらべて社会人は

自由な時間が少ないためか、

既存の人形を改造したり流用したり、

人形にあわせた脚本を書いたりして、

効率よく劇を制作する工夫をこらしています。

そのため、

数少ない人形が何度も何度も活用され、

息の長いキャラクターとして定着したり、

DIVE2のマスコットになったりします。

上記の「犬」と「ネコ」は、

飯田の顕彰碑のシンボルに抜擢されて、

未来永劫その姿が残されることになりました。

 

 

次回予告

「息の長いキャラクター」のなかでも

とくに長く活躍しているキャラクターについて。

 

posted by みん at 21:47| 愛知 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月15日

現存する人形たち

とーきです。

 

前回まで、

だいぶつ時代に製作された人形たちを

いろいろ紹介させていただいたところ、

少しだけですが、

「懐かしい」との反応がありましたので、

もう少し続けさせていただきましょう。

 

今日紹介するのは

今うちに残されている人形たちです。

誰が作ったのか、

どんな作品のどんなキャラクターなのか、

何も分からない…

そんな人形たちです。

知っている方がいれば教えてくださいませ。

そして、

「懐かしい」と思ってくれるOBが

他にもいれば、嬉しいな〜。

 

これは、おそらく平成4〜6年ころの

「ナマズ」です。

口パクだけでしか動けません。

布の模様がリアルにヌメヌメ感を表せています。

 

同じ時期のものと思われる

「からかさオバケ」です。

口と目が別々に操作できる優れものです。

 

もう少しあとの平成8〜10年頃のものかな。

何なのかはわかりませんが、

かわいらしい指遣い(手遣い)人形です。

ニンジンとカボチャ…ではないんだろうな〜。

 

たぶん、どちらも「タヌキ」です。

平成15年以降のものと思われますが、

間違っているかもしれません。

同じ作品に登場の二匹なのか、

別の時代の別の作品のキャラクターなのか、

どっちでしょう。

ウレタン製の口パクです。

 

これも平成15年以降のものと思います。

たぶん「ネコ」と「クマ」かな。

ウレタン製の口パクで、

「ネコ」の服は、丁寧に豪華に作られています。

 

よく似た顔の人形たち。

同じ作品に登場した家族か兄弟か、

それとも全く別の作品に出ていたのか。

だいぶつで製作された人形のなかで、

おそらく末期のものと思われます。

きれいな服が丁寧に作られています。

 

頭部の内部は発泡スチロールで、

後頭部に芯棒がついています。

前々回の一番はじめに紹介した

昭和54年ころの「赤鬼」と同じ構造です。

 

 

三回にわたって、

だいぶつで製作された人形たちの写真を載せました。

写っていた人形は30体以上。

年代が新しくなればなるほど、

完成度の高い、きれいな人形が増えていきます。

しかし、構造的に

30年前のものと全く変わらないものもありました。

 

先輩から後輩へ

伝えられる技術があって、

新しい技術がプラスされて、

それもまた伝えられて、残されて、応用されて、

どんどん進化していく様子が見てとれます。

 

先輩から後輩へ、

変えてはいけないことと

変えなければいけないこと…。

だいぶつの人形たちは

クラブにおけるタテのつながりを

ちゃんと体現してくれていました。

 

この項目の書き込みを始めたときは、

まさかこんな結論が導き出せるとは考えず、

軽い気持ちで

人形の紹介をするだけのつもりでした。

でも今、これを書きながら、

ちょっとだけ驚きと感慨に耽っています。

クラブの歴史が持つ意義、重み、証し…

必ずどこかに、何かに、

その痕跡は現れるものなんですね〜。

 

 

追記、

ここに写っている人形が欲しい方は

ご一報ください。

製作者ご本人であれば、お返しします。

または、

製作者の許可があれば、差し上げます。

 

posted by みん at 21:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月31日

手づくり人形、その2

とーきです。

前回に続いて、

人形劇だいぶつで使用していた人形たちを

いろいろ紹介します。

前回は基本的な構造のものを紹介しましたが、

今日は少し変則的なものを紹介します。

 

まず、いきなり「変則的」ではありませんが、

現存する人形のなかから、

いわゆる「口パク人形」です。

平成15年頃の作品と思われます。

 

セリフに合わせて口をパクパク動かし、

同時に両手のピアノ線も操作します。

だいぶつで多用していた人形のなかでは

表現力には優れた構造ですが、

口パクと両手、別々に操作するのが難しく、

しかも

出番が長引けば腕が疲れてくるので、

使いこなすには

それなりの訓練と経験が求められます。

 

こちらは、

だいぶつでは珍しい、糸操り人形、

いわゆるマリオネットです。

平成8年の飯田作品の練習風景。

 

人形の全身の間接に糸をつなげているので、

棒遣いや手遣いよりも

より本物っぽいリアルな動きが表現できるのですが、

慣れるまでは操作が難しいんですよね〜。

 

平成3年8月の

朝日新聞(奈良版)に掲載された写真。

マリオネットを応用して作った

巨大なクモです。

 

平成4年の作品で、ムカデ。

今うちにある人形の中で最古のものです。

片手で頭部(口パク)を操作、

もう片手で、胴体〜シッポを操作していました。

なぜかこの時期は、

虫を題材にした作品が多かったようです。

 

平成元年の「救急車」「消防車」「火事」。

素材は、何だろう。

ボール紙でしょうか。

火事くんは、目玉だけが動く構造のようです。

 

平成22年の「机」。

ウレタンを布で覆って作られています。

裏面にはちゃんと顔があって、

給食の食べ残しを押し込まれると怒り出します。

 

子供を楽しませるための学生ボランティアなので

なんとか言い逃れできますが、

もし公演料をもらっていたら

著作権侵害で問題になりそうな棒遣い人形。

発泡スチロールの削り出しに

和紙、塗装、ニスでコーティングして作っています。

平成3年の作品。

 

このように、

作品の内容に合わせて、

いろいろな構造の人形を

工夫しながら作っていました。

 

 

さて、

お〜い、おじょう〜、

読んでくれていますか〜。

先日の公演は、お疲れ様でした〜。

で、その時は、

人形はどうしたのですか?

手元にあるものを使ったのでしょうか。

それとも

新しく作ったのでしょうか。

シルバーさんたちの人形は

どうやって用意したのでしょう。

ケコミなんかは、どうしたのかな。

OB活動の参考に、

教えてくれると嬉しいで〜す。

 

 

posted by みん at 16:36| 愛知 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月18日

手づくり人形

とーきです。

 

今日は

学生時代の人形劇で使用していた

人形について書きます。

 

先日の、DIVE2の仲間の結婚式で、

新婦のお友達の方々が

「へえ〜、手作りなんですね〜」

と感心してくれたとおり、

基本的に人形は

僕たち自身の手作りでした。

作り方も、

先輩から後輩へ受け継がれながら、

40年の間に

いろいろな変遷が見られます。

 

まず、昭和54年頃の写真。

奥の赤鬼は

おそらく発泡スチロール製かと思われます。

棒遣い人形の一つで、

よく見ると後頭部に操作棒がついていますね。

この構造のものは、

頭部だけ上下左右に操作できるので、

両腕の操作と合わせて

いろいろな感情表現が可能です。

 

手前の黄色い服の部員の右腕には

手遣い人形がはめられています。

 

その手遣い人形の写真のなかから、

これは昭和61年頃のもの。

頭と手首は発泡スチロール製ですね。

 

同じ手遣い人形でも

こちらは、頭と手首が布製のもの。

平成4年の大学の入学案内パンフの写真です。

プライバシー配慮のため、

顔にボカシを入れました。

“呪いの写真”ではありません、念のため。

 

手遣い人形は

中指・薬指を折り曲げ

人差し指を真上の頭部に、

親指と小指を広げて両手部に挿し込んで操作します。

胴体は布製で、手が入るような袋状になっていて、

頭部や両手部は綿・ウレタン・発泡スチロールなどで

指先がしっかり入るように作ります。

いいだ人形劇フェスタのシンボルマークも

このイメージで作られていますね。

操作が比較的に簡単で、

特別な技術がなくても

容易に感情表現が可能なタイプです。

 

これは、平成2年の

発泡スチロール製の棒遣い人形。

発泡スチロールの表面に

和紙を貼って色を塗って

ニスを塗ってコーティングしています。

 

棒遣い人形は

胴体に挿した心棒と

両手のピアノ線を操作して、

腕の動かし方で感情を表現します。

 

平成14年頃の製作の様子。

スポンジ(ウレタン)の固まりを

人形の形に切って整えて

(この作業、静電気がすごいんだよな〜)

その上に布をかぶせて縫製して作ります。

平成10年以降の人形の多くは

この方法で製作され、

現存する人形もほとんどがこの構造です。

そうして製作された平成14年頃の人形たち。

素材はウレタン+布で、

人間だったり動物だったり、

遣い方は口パクだったり棒遣いだったり、

様々な構造にアレンジされています。

 

 

ところで、

仮に

一年間に平均5作品を制作していたとして、

一作品に平均5体のキャラクターがいたとして、

40年間で、

約1000体の人形が製作されていた計算になります。

今日ここで紹介した人形は、

基本的な構造のものばかりで

ほんの一部だけ。

 

1000体……

実際は、たぶん、それ以上……

…そんなに作られていたのか…

改めて数字で見ると…すごいなあ。

 

次回に続きます。

 

posted by みん at 19:21| 愛知 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月27日

だいぶつネーム

とーきです。

「とーき」とは僕の本名ですが、

漢字表記ではなく、

毎回わざわざ「とーき」と書くのは

これが人形劇だいぶつ内での通称名だからです。



一般的にはニックネーム・愛称とも言えますが、

あくまでもニックネームや愛称ではなく、

だいぶつ内での正式な名前として

使い続けていた(今も使い続けている)名前です。



これが表題の「だいぶつネーム」です。



僕の場合は本名由来ですが、

だいぶつネームには

様々なものが見受けられます。



僕がこのブログに記載したことのある、

または、コメントに寄せられたことのある

だいぶつネームを列挙すると…



ラビット

かん

つき

みん

おー

ティーチャー

ゆっきゃん

やっちん

ほげ

らっしー

びば

でーた

まーぼ

なぎ

おじょう

かまち

ゼロ

ゼン

つくーる

…などなど。



ここに挙げたものだけを見ると、

本名そのままなのは、僕くらいかな。



本名が簡略化されたものが

つき、おー、…など。



本名由来で、その一部が変化したものが

みん、ゆっきゃん、…など。



誰かに似ているからとの理由で付けられたものが

ティーチャー、でーた、…など。



なぎ、は

昔、なぎなたをやっていたから、らしい。



ゼロ、は

元々はゼロカスタムだったはず。

ゼロカスタムとは、確か「ガンダム」用語ですよね。

なぜゼロちゃんにガンダム由来の名前がついたのかは

僕は知りません。



ラビット先輩の名前は、

それが「だいぶつネーム」かどうかも分かりません。

「ラビット」のお名前でコメントが寄せられたので、

勝手にそう思い込んでいるだけです。





春先の部活では、

“新入生の「だいぶつネーム」を決める部会”

が開催され、

そこで新入生本人の希望や

先輩達の好き勝手な意見をもとに、

人生の新たな名前が付けられちゃうのです。



僕が初めて人形劇部の部室に入って、

当時の部長が「ボン」「ボンちゃん」「ボンさん」

と呼ばれているのを聞いたときは、

往年の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」をマネしている、

と、本気で思い込んでいました。



でも、後に

奈良教育大「エコー」でも

奈良佐保女子短「えのぐばこ」でも

同じようなニックネームがあることを知り、

もしかしたら人形劇の世界の、

あるいは演劇の世界の、慣例なのかな、

と理解するようになりました。



某大学関連サイトで、

だいぶつネームとは

「一生その名前で呼ばれる」

との解説がされています。



そのとおりです。



大学を卒業して、

郷里に戻ったり、新しい家庭を持ったりして、

人形劇とは縁のない生活を始めた卒業生は

その名で呼ばれることは少なくなります。

が、

何年ぶりかで再会などの際には、

当たり前のように、

その名で呼ばれることになります。

ましてや、

卒業後もずっとOBOG同士で交流していれば、

ずっと呼ばれ続けることになるのです。

それが本名とは全く関係のないネーミングであっても。



「とーき」

「みんさん」



卒業してから20年以上経過した今でも

そう呼び合っているのです。



そういえば、みんさん

「みんみん」って呼ばれていたこともありましたよね〜。



posted by みん at 20:30| 愛知 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月23日

みんさん近況

またまたご無沙汰してます、みんです(^o^)/

奈良に来て1ヶ月ちょっとが経ちました。
なんだか、バタバタしていますが、とりあえず、元気に過ごしておりますo(^-^)o

2月の初めから働きはじめました。
とある呉服屋さんの営業です(^_^;)
まだまだ未知の世界で毎日が驚きの連続です(^。^;)

電話をかけては断られ続けて、先輩のおば様について行ってはすごいなあと関心しています(≧ω≦)b

なんと、営業の中では私が最年少(°д°;;)

平均年齢60〜70歳で、過去に85歳の営業の方もいたそうですw(☆o◎)w

とりあえずはやっていけるかどうか、3ヶ月は固定給なので、様子を見てみます(笑)

そういえば、先輩のおば様についてお客様のところに行ったら、そこはお好み焼き屋さんをやっていて、お昼ご飯をそこで食べました。
その時、たまたま、私がプロの人形劇団にいた話になって、ぜひ知り合いのところで人形劇をやってほしいと頼まれたので、OKしました。

だいぶつの最終公演の時に前座で上演したなかよしと言う人形劇を老人ホームでボランティアで上演するかもしれません(*^_^*)

今度、下見がてら、老人ホームのイベントを見学させてもらうことになりました。

その時に会場の広さや観る人数や客層などなどをリサーチしてきます。

そのうち、ダイブ2のメンバーもお手伝いを頼んで、一緒に上演できると嬉しいな(o~-')b

とりあえずの新生活、まあまあの滑り出しです(^_^)v

とーき、たまには遊んでちょ( ̄ー+ ̄)ニヤリ
posted by みん at 20:26| 愛知 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

クリスマス公演

とーきです。

 

表題の「クリスマス公演」とは

12月の人形劇公演ラッシュの通称で、

この時期に「クリスマス会」を開催する

多くの子供会や幼稚園などから

公演依頼が殺到し

(「殺到」と言うほどでもないかな…)

12月の土日祝日のほとんどが

出張公演に費やされて忙殺される

(「忙殺」と言うほどでもないかな…)

人形劇だいぶつの年間活動の

文字通り「ヤマ場」です。

 

この写真は前回にも掲載しましたが、

画面の左端にクリスマスツリーが見えますので、

これはおそらく

どこかのクリスマス公演の写真だと思われます。

昭和55年頃の写真です。

 

翌昭和56年のクリスマス。

何人かの子供達と学生が

同じパーティー帽子を被っていますね。

 

平成元年のクリスマス。

これも前回掲載の写真ですが。

ケコミへのデコレーションは

クリスマスの特別仕様です。

 

平成13年頃の

公演会場の入り口に掲げられたホワイトボード。

その会場内の様子。

部員がサンタに扮して

子供達にサービスするのは、

昭和でも平成でも

行われていたようです。

 

世代によって、

会場によって、

少しでも子供達を楽しませよう、と

いろいろな工夫をしていますね。

 

年によって忙しさにはバラつきがありますが、

ここに載せた平成8年の行事予定表を見ると、

12月に入って

土日が全く休めていない状況が分かります。

 

…しかし

この平成8年の公演予定は凄まじいなあ。

「忙殺」と言っても

過言ではないなあ。

きっと依頼が

「殺到」していたんだろうなあ。

同じ日程への依頼は先着順が原則で、

お断りすることも少なくありませんでしたから。

 

僕たちの世代では

このハードスケジュールのために

体調を崩す部員が続出していましたね。

 

ちなみに

この写真の最後に書かれている「斑鳩公演」は

毎年の常連のお客様だったらしく、

これ以降の世代にとっては特別の存在感がある

恒例の公演先だったようです。

 

 

そして

この「クリスマス公演」を全て終えたら

地方からの下宿学生達は

実家に帰省して行き、

正月を迎えるのですね〜。

 

posted by みん at 23:25| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月10日

ケコミ、その2

あけましておめでとうございます。

とーきです。

 

みんさんに代わってこのブログを書き始めてから

一年以上が過ぎました。

人形劇だいぶつに関係した記事だけを

いつまで書き続けることができるのか、

僕にも先が見えていませんが、

一年以上続けられるほど

(一ヶ月に1〜2回だけの更新ですが…)

いろいろとネタがあるものですね。

どうしても思い出話が多くなってしまうのは、

お許しくださいませ。

というより、一番の目的は

みんさんよりも年上の先輩からのアプローチを

気長に待っているのですよ〜。

 

さて今日は

「ケコミ」と呼ばれる人形劇の舞台について。

昨年1月に少し触れましたが、

今日はその続編。

これは、ケコミを組み立てている様子。

あれ?もしかして

組み立て、ではなく、解体かな?

ま、どっちでもいいか。

こんな構造で立てていました、

って、よく分かる写真ですので掲載してみました。

平成14年頃の写真です。

 

 

これは昭和49年頃のケコミ。

これは昭和55年頃のケコミ。

これは平成元年頃のケコミです。

 

外側に被せている暗幕や飾り付けを変えているので、

いろいろなケコミがあるように見えますが、

基本的な骨組みに使っているアルミパイプは

おそらく40年間

ずっと同じものを使用していたと思われます。

舞台形状のアレンジなどの理由で、

違う素材のパイプを買い足したりすることもありましたが。

 

 

これは昭和54年頃の写真。

こちらは平成14年頃の写真です。

少なくともこの写真のパーツは

同じものですよね。

そして、そこに書かれている記録。

僕が入部した1988年(昭和63年)には

すでに使用していたケコミですので、

少なくとも1987年以前から使用しているケコミを

修理しながら使い続けていた証し。

もし、昭和47年の創部時に作ったケコミを

7年後の昭和54年にも使用していたとすれば、

この3枚の写真からは、

創部時の大先輩がお作りになられたものを

休部までの40年間

ず〜っと使い続けていた、

との推測が成り立つ、

と言えるのではないでしょうか。

 

何と感慨深い…

 

お〜い、おじょう、かまち、ほげ。

君たちの痕跡はしっかり残っているぞ〜。

 

そして、ラビット先輩〜。

これをお作りになられたのは、先輩ですか〜?

ご連絡お待ち申し上げま〜す。

 

 

posted by みん at 21:36| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

お久しぶりです(^o^)/

120416_0552~01.jpgみんです。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

最近はとーきが頑張って、ここのブログを更新してくれていて、管理人の私ことみんはちょっとおさぼりしていました。
ごめんなさい(^人^;)

今日はちょっと私の近況報告がてら、登場しました。

昨年12月の半ばにシングルに戻りました(*^_^*)
……で、今年の1月の半ばからは再び、奈良に戻ることにしました(^_^)v

橿原市、近鉄の大和八木駅の近くに住むことにしました。
通院する病院が近くにあるので…

とりあえず、住むとこは決まったので、次は仕事探しです(>_<)

20年ぶりの奈良住まい、むっちゃ楽しみですo(^-^)o

今はまだバタバタだけど、落ちついたら、人形劇、また、やりたいな(*^_^*)
みなさん、よろしくね〜(笑)


さて…引っ越し荷物整理やってると、実にいろんなものが出てきます。

だいぶつの頃の劇団員紹介、ろばのみみを見つけたり、奈良大学の旧校舎の写真集や新校舎になってからの学校紹介、はじめて飯田で公演した時のあたえる木の走り書きのノート、なぜか、とーきとの文通?の手紙の数々…(笑)
まぁ、今ならメールですまされることでも、あの当時は手紙だったからなぁ(笑)

とても懐かしかったけど、荷物整理でどんどん捨てまくっています。

なるべく荷物を減らさなくちゃいけないので、大変です。

私の結婚式の時の写真にとーきたちが軍手星人のアクション劇をやってくれた時の写真が出てきて、懐かしくなりました。
まだ15年前、とーきたちも若かったなぁ〜(笑)

さて、新生活が今年はスタート!!
がんばります(^o^)/

みなさん、応援してくださいね〜(笑)
posted by みん at 13:22| 愛知 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月11日

披露宴

とーきです。

恐縮ですが、今日は私事を書きます。



10月9日の項で少しだけ触れました

仲間内の結婚披露宴での人形劇公演ですが、

去る大安吉日に

無事上演完了となりました。



会場は某ホテルの結婚式披露宴会場。

お客様は新郎新婦の

ご家族・ご親族・ご友人・仕事関係の皆様。



ご本人から事前に聞いていた

出会いのきっかけやデートの話などを

動物の人形劇に仕立てて、

約10分間の「公演」。





上演後、新婦のご友人の方々から

「涙が出るほど感動しました。

 お二人のなれそめも

よく分かりましたし、

 新郎がどんな人なのかも

よく分かりましたし、

本物のお二人を見ているような気がするほど

演技もお上手で、

人形劇って、素晴らしいですね」

と、

これ以上無いくらいの称賛をいただきました。

 

そして、新郎のお母様は

「息子が大学で、人形劇のクラブに入った

 と、聞いてはいましたが、

 一度も見たことがなく

 何をやっているのか全く分からなかったのです。

 でも、今日やっと分かりました。

 こんなことをやっていたのですね」

と、

満面の笑みで、とても喜んでくれました。



先述の新婦のご友人のお二人は、

終演後、ケコミの中に入ってきてくれて、

人形たちを手にとりながら、

「へえ〜、手作りなんですね〜」

と、興味津々。





新郎が学生時代に青春をかけた「人形劇」とやらを

理解してもらいつつ、

お二人のラブストーリーも楽しんでもらう

一石二鳥のこの企画、

その目的は100%達成できた、と思います。

まあ、いつものとおり練習不足で、

ところどころ失敗はありましたが……。



「特技・人形劇」

そう言えることが誇りに思えた一日でした。





脚本&演出をがんばったゆっきゃん、

一緒にがんばった仲間たち、

本当にお疲れ様でした。

そして、やっちん、

おめでとう!



posted by みん at 21:18| 愛知 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

青垣祭公演

とーきです。

 

大学と言えば、大学祭。

奈良大学の大学祭は、あおによし奈良に因んで

「青垣祭」との名称で呼んでいます。

奈良大学も青垣祭ももちろん存続していますが、

そこに人形劇だいぶつの公演は、

今はもうありません。

 

今日は、だいぶつの青垣祭の思い出を書いてみましょう。

この写真は、

おそらく昭和49年頃の

青垣祭公演の会場だと思われます。

昭和62年以前の旧校舎のことは

僕は全く知らないのですが、

へえ〜、

こんな教室で、こんな会場だったんですね〜。

 

時は流れて

昭和63年から使用されている新校舎では

C棟−205教室で人形劇を上演していました。

これらの写真は

平成14年前後のものだと思われます。

 

平成元年頃、

「上演中はお静かに」

「音響・照明には近づかない」

「ケコミ(舞台)に近づかない」

を合わせて「三つのお約束」

と呼ばれる注意事項を

上演前にお願いしていました。

が、

新校舎では、

小さい子供が座ると、体重の軽さで

前側に倒れてくる大人用椅子のために、

上演前の注意事項で

座り方を追加しなければならなくなったので、

「お約束」が「四つ」に増え、

「トイレに行きたい子供さんは静かに手を上げてね」

と、「お静かに」の付帯事項だったものが独立して

「お約束」が「五つ」に増え、

ポケベルや携帯電話の普及が進むと、

大人の方へのお願い事が増え、

最終的には七つくらいに増えていたような気がします。

 

 

さて、青垣祭では

実行委員会や文化会本部の構成員の投票によって

どのクラブ・サークルの出し物が面白かったか

を審査する「青垣大賞」なるコンペが行われていました。

だいぶつ最後の、平成22年度の公演では、

部員減少による廃部直前のハンデをものともせず、

見事1位の「大賞」に輝きました。

よく頑張ってくれたぜ、最後の後輩たちよ。

 

 

休日は、地域の家族連れや、子連れのOBOG、

青垣大賞の審査に来た学生、などで、

大入り満員になることも結構ありました。

平日は、ガラガラ。

部員の友人や審査の学生さんくらいでした。

付属幼稚園の貸切デー、ってのもありましたね。

新入部員にとっては、

お客さんが大入りでもガラガラでも、

大人相手でも子供相手でも

本公演のいい練習になる場でありました。

 

青垣祭公演の思い出は、

語り出すと長くなるなあ…。

でもキリがないので、

今日はここまで。

 

posted by みん at 20:03| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

劇仏〜ぜんとくん

とーきです。

 

前回まで、OB劇団「DIVE2」について書きました。

今回は、別のOB劇団の話題です。

 

平成20年の飯田で、

奈良大学「だいぶつ」によって上演された劇が

3つ、ありました。

が、

その中の1つに、

ほとんどOBOGばかりで構成された作品がありました。

中心人物は

平成18年に卒業しているはずのゼン君

…だと思われます。

参加者は、ゼン君の前後のOBOGたち(現役生も少し含む)。

 

そして翌21年、ほぼ同じメンバーが

人形劇団「劇仏」の名前で参加。

この時は、「DIVE2」の過去の作品をリメイクする、

とのことになったので、

僕も一緒に参加させてもらいました。

この写真は、その作品でミッドナイトに出演した際、

翌年の人形劇フェスタのガイドブックに

まるで“ミッドナイトの代表”のように掲載されたものです。

 

さらに翌22年、

メンバーは減少し、僕も参加しなかったのですが、

ゼン君を中心に数人が集まり、

劇団「ぜんとくん」の名前で参加。

この年もミッドナイトでの上演でした。

 

上演当日、僕は客席で見ていたのですが、

客席にいた某プロ劇人さんに、

「DIVE2が出なくて寂しいと思っていたけど、

この子たち、DIVE2さんの後輩だったのね。

どおりで、同じニオイがしたわ」

などと喜ばれました。

 

彼らは、

だいぶつ直系のアマチュア劇団で、

DIVE2の後輩でもあります。

昨年のだいぶつラストステージでも、

すいぶんと手伝ってくれました。

 

その後、メンバーが集まらずに

平成23年以降、参加できなくなっていますが、

関西在住で、久々に人形劇を楽しみたい方、

ぜひゼン君に声をかけてやってくださ〜い。

 

 

posted by みん at 21:40| 愛知 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

人形劇団DIVE2、その3

とーきです。



前々回、DIVE2の活動が

多くの卒業生にとっての人生の選択肢になり得た、

との話について書きました。

今回は、その続きです。



結成2年目のDIVE2に集まったOB達。

さて、どんな作品を作ろうか

と、真面目半分・おふざけ半分で打ち合わせた結果、

できあがった脚本が

とても子供には見せられない

シュールでブラックな内容だったので、

意を決して、と言うより、仕方なく

人形劇カーニバル飯田の「ミッドナイトシアター」

に出演することにしました。



僕たち自身はもちろん、身近な人の中にも

それまでミッドナイトに出演した人はいません。

そんな僕たちにとって飯田のミッドナイトといえば、

「人形劇の最高の舞台」「人形劇の聖域」

野球に例えると「甲子園」

というイメージを勝手に持っていました。



本当に僕たちの作品がミッドナイトで通用するのだろうか…

そんな不安はどうしても拭えませんでした。



ところが、運が良かったのかどうか、

作品は大爆笑を誘い大成功。

そして、共演してくれた女性劇団で

当時「ミッドナイトの女王」と異名で呼ばれた

人形劇団「ぽこあぽこ」さんが言っていた

「ミッドナイトは、一度出たらクセになるよ〜」

との言葉通り、

以後毎年ミッドナイトに出演を続けることになりました。



それから数年後、

DIVE2はミッドナイトの看板劇団のように言われ、

「大人向けの実験劇場」だったはずのミッドナイト会場には

DIVE2の「大人が笑える人形劇」を目当てに

開場前から長蛇の列ができるようになり、

整理券まで発行されるようになりました。

その様変わりの元凶がDIVE2だと言われたり…

いえ、決して僕たちのせいだけではないと思いますが、

そう言われることは喜んでもいいのかな。

出演申し込みをしなかった最後の年には、

飯田の運営委員から

「ミッドナイトに出てください」

との電話がかかってきたこともありましたし。



会場には毎年

だいぶつの後輩が見に来てくれていましたね。

先輩が頑張っている姿を見せることができていたかな。

それとも、

笑いに突っ走りすぎて後輩に悪影響を与えなかったかな。

僕としては、

会場に後輩がいる、と意識するだけで

気合いが高まっていたんですよ。



奈良大学「だいぶつ」とは無縁だけど

このブログに眼を通してくれている方でしたら、

飯田でDIVE2の作品を観て下さった方ですよね、きっと。

その節は、ありがとうございました。

また、いつの日か…

posted by みん at 22:27| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

卒業生たちのその後の活動

とーきです。



卒業してからも人形劇を続けているOB・OG情報

を前回に呼びかけましたが、

職場で続けておられる先輩がいらっしゃる、

とのコメントをもらって

思い出しました。



劇団活動をしている卒業生は少ないですが、

職場(例えば就職先が幼稚園、とか)、

地域の子供会、

自分の子供が通う幼稚園、

などのイベントで人形劇をやっている卒業生の話なら

よく耳に入って来ますし、

そのために

「人形を貸してください」

と言われることもあります。

僕がここで実名を挙げることは差し控えますが、

けっこういますよね。

だいぶつ員同士で結婚して

夫婦でやっているOBOGの話なんかも聞きます。

差し支えなければ、

ご本人さんの書き込みが欲しいな〜。



芸は身を助ける、

手に職を持つ、

など、いろんな言い方で、

だいぶつOBOGの

その後の人生は彩られているのでしょう。

しかもそれが何かの役に立っていて、

誰かが喜んでくれている。

素敵なことだと思いますし、

素敵なクラブで過ごした幸せを実感できますね。



ちなみに、DIVE2では

メンバーの誰かが結婚するとき、

他の仲間たちが、

新郎新婦の「なれそめ話」を

人形劇に仕立てて、

披露宴の会場に小さなケコミを立てて

ご家族・ご親族・ご友人の前で上演することが、

時々あります。

よくあります。

新郎が学生時代に青春をかけた「人形劇」とやらを

ご家族・ご親族・ご友人の皆様に理解してもらいながら、

新郎新婦のラブストーリーも楽しんでもらえるので、

一石二鳥の余興になるのです。



近いうちに、またその予定があります。

がんばらなきゃいけないのですが、

でも…

いつも練習不足で

完成度の低い作品になることが多いのです…。

活動できる日数が少ないんですよね〜。

いやいや、そうは言っていられない。

がんばっていい作品を作ろうな、ゆっきゃん。



今もそれぞれ活動しているみなさんも、

仕事や家事や育児の合間に

練習や製作の時間を

苦労して捻出していることでしょう。

がんばりましょうね、みなさん。



posted by みん at 20:51| 愛知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

人形劇団DIVE2、その2

とーきです。

残暑も過ぎ去り、過ごしやすい季節がやってきました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

お元気ですか〜?

コメントくださ〜い。

 

 

さて、前回「DIVE2」の発足について書きました。

引退したのに人形劇を続けたい「奇特」なOB・OGが

意外と多いって発見をしたところまで。

 

で、翌年(発足から2年目)、

現役活動は基本的に3回生までなので、

それより年上の、4回生と卒業生に

試しに声をかけまくってみたら、

集まるわ集まるわ、

10人以上の立派な劇団ができてしまいました。

 

これが「DIVE2」の原型になりました。

 

社会人劇団は、練習時間が圧倒的に少ないので、

発声や人形操作などの基本的な技術が

ある程度はじめから身についていないと無理なのです。

本番まで一度も練習が出来なかったこともあるくらい。

なので、声をかける人を選ぶときは、

基本的に4回生と卒業生に限ることにしました。

 

が、こんな制約を設けていたにもかかわらず、

発足から5年間で参加してくれた人数は、

なんと、30人!

 

引退・卒業してからも人形劇を続けた先輩は、

みん先輩以外に聞いたことがありませんでした。

卒業すればやめるか、

続けたければプロに入るか、

選択肢はその2つしかなかったのです。

 

でも、

普通の社会人になって、

プロに入るほどではないけれども

たまには人形劇を楽しみたい

…ってOB・OGが

こんなにも大勢いるのなら、

そんなみんなと人形劇を楽しもう。

そのための場所として、

「DIVE2」の活動を続けよう。

と考え、

以後10年間、飯田に出演し続けました。

だいぶつOB・OGにとって「DIVE2」は

3つ目の選択肢になり得たのです。

この写真、というか、名簿は

平成10年(1998年)の

飯田人形劇カーニバルのガイドブックの、

参加劇団一覧の奈良県の欄です。

奈良県からはこの8劇団が登録されていますが、

…よく見ると

8劇団のうち4劇団の住所が同じ…。

これら4つはみんな、

「DIVE2」と活動を共にしていたOB・OG劇団です。

ちなみに他の4つの劇団も見てみると、

1つが奈良大学と、もう1箇所の住所しかありません。

8劇団が参加しているようで、

実質は3団体だけなのでしょう。

こんな珍事が起こるくらい、

人形劇に情熱を燃やす人が多かった、

というエピソード……かな?(笑)。

 

今日はここまで。

また次回に続きます。

 

posted by みん at 21:50| 愛知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月21日

人形劇団DIVE2、その1

とーきです。

すっかり僕のブログのようになっていますので、

今日は、僕自身のネタを書いてみます。

と言っても、

だいぶつに関するオフィシャルな話題からは

逸脱しないつもりですので。

 

表題の「人形劇団DIVE2」は

平成5年〜16年まで、

いいだ人形劇カーニバルに出演していた

だいぶつOB・OG劇団です。

去年のだいぶつラストステージにも出演しました。

これは、平成15年、

DIVE2の10年上演参加を顕彰された時に

飯田駅横の広場に設置されたパネルです。

 

 

今から20年前、大学を卒業した僕は、

他の仲間や先輩達と同様に

とりあえず一旦は人形劇から足を洗ったのですが、

でも、飯田には行きました。

上演せずに観劇のみで。

 

しかし、観るだけって虚しい…。上演したい…。

 

その年、同じように虚しさを感じたOGがいました。

僕と同期の、おーちゃんです。

そこで、2人で、

「社会人劇団を旗揚げしようか」

と意気投合、と言うより、覚悟を決めて、

翌年の飯田に、上演参加することを決意したのです。

 

かつて、

だいぶつを卒業してからも人形劇を続けた先輩は

全くいませんでした。

少なくとも、僕は聞いたことがありません。

唯一の例外が、プロに入ったみん先輩だけ。

社会人と劇人の両立は、当時は、前人未到の領域。

大丈夫かな。できるかな。仕事に差し障りないかな。

…と不安いっぱいの旗揚げ。

 

劇団名はもちろん「だいぶつ」をもじったものですが、

「清水の舞台から2人でDIVEする」

という意味合いを後付けしました。

なのでこの劇団名、

はじめはおーちゃんと2人だったなあ、

との原点を常に僕に思い出させてくれます。

それに当時は、

引退してからも人形劇をやろう、

なんて奇特なOBは、

僕ら2人の他にはいない、と思っていましたし。

 

ところが…

 

2人で練習やら製作やらをしていると、

「手伝いましょうか」

「音響でも小道具でも何でもやりますよ」

などと、数人の4回生が、

つまり引退したはずのだいぶつ員たちが

声をかけてきてくれ、

本当に参加してくれました。

また、奈良在住のOBの一人に声をかけたところ、

「やりたい、やりたい」

と喜んで出演してくれることに。

 

おや?

奇特なOBって、意外と多いのかも。

と思った平成5年の僕でした。

 

次回に続く。

 

posted by みん at 21:13| 愛知 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月30日

飯田の話、補足

とーきです。



今日は短く、

前回の飯田の話の補足を書きます。





「人形劇カーニバル」は

昭和54年から開催されていて

みんさんや僕が参加していたのは

まだ昭和の頃でした。



僕の時代はまだ有志数人だけでしたが、

1学年あたりで初めて半数以上が参加しはじめたのが

僕より3つ下の

後の部長ゆっきゃんが含まれる23期生でした。

時に平成3年。



初めて複数の作品(3つ)を持参したのが

さらに3年後の平成6年。

当時の部長は誰だ。

らっしーかな?



ちなみに同じ年、

OB劇団「DIVE2」が

初めてミッドナイト公演に出たのです。



学生サークル連続公演に出演しはじめたのが

さらに2年後の平成8年。

まーぼ部長の時代かな。

間違っていたら、ゴメンね。



あとは…

何か特記事項あるかな〜。





時は流れて、今年。

みんさんから下記のとおり聞きました。



学生連続公演の副実行委員長さんが、

だいぶつの消滅を

しきりに残念がってくれていたそうです。



だいぶつ部外の人が

だいぶつのことを残念がってくれるのは、

嬉しいものですね。



今日はここまで。



posted by みん at 23:09| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

人形劇カーニバル飯田

とーきです。

みんさん、元気にしてるかな〜。

 

前回、飯田について記述しました。

今回は人形劇だいぶつの

飯田への参加の経緯について書きます。

 

 

「飯田」とは、

毎年8月に長野県飯田市で開催されている

「いいだ人形劇フェスタ」のこと。

以前は「人形劇カーニバル飯田」との名称でした。

 

人形劇だいぶつは

「カーニバル」の初期の頃から

上演なしの観劇のみで参加していたそうです。

そんな中で初めて

「上演しよう!」

と行動しはじめたのが

このブログの管理人=みんさんでした。

しかし、周囲からは反対の声。

そこで、参加しない部員に配慮して

「だいぶつ」とは違う劇団名でエントリー。

部活とは別の、自由参加活動の形にして、

有志数人で初上演を果たしました。

 

この時、僕はみんさんに強制的に飯田に連行されて、

たまたま観た「むすび座」さんの作品に感銘を受け、

人形劇に開眼してしまったのです。

 

その僕が、翌年の飯田への参加を仕切ることになりました。

僕は、劇団名を変える必要はないだろう、と考え、

有志メンバーを集めて「だいぶつ」の名前のままで上演参加。

これが「だいぶつ」の飯田上演の第一歩でした。

 

それから3年を経過するころには、

有志メンバー数人だけでなく、

だいぶつの半分以上の部員が参加するようになり、

「部活」として認知されるようになりました。

1作品だけでなく、

複数の作品を上演できるようになり、

市内地域公演はもちろん、

学生サークル連続公演にも毎年参加、

飯田でもその名の知られる大学になりました。

 

10年間の上演参加を達成した偉業を称え、

こんなパネルが特注され、

飯田駅前の駐車場の横に飾られています。

ちなみにこのイラストは

みんさんより3つ上の先輩・かんさんが原案を描き、

みんさんより10くらい下の後輩・なぎ(現・京芸)

が描き直したものだそうです。

 

飯田かあ…。

いろんな思い出があるなあ。

今も行き続けてるけど。

僕以外に、今も飯田に行ってるOBって

誰かいる?

いたら教えてくれ〜。

 

posted by みん at 17:12| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

飯田のOBたち

とーきです。

地域のママさんたちと、その家族みんなで

飯田人形劇フェスタに行ってきました。

昨年の、だいぶつラストステージに出演してくれた

ママさん劇団の皆さんです。

 

何人かのママさんが、数年前に

「人形劇のお祭り、とやらを見てみたい」

と言い出し、ここ数年、一緒に飯田入りしているのです。

上演せず、観劇だけの参加ですが。

 

ここまで人形劇にハマってくれたら、もう

だいぶつの新しい後輩みたいなものです。

 

年齢は2倍ほど違いますが。

 

 

今年はみんなで

むすび座の「ピノキオ」を観ました。

 

だいぶつOBほげ君の演出。

役者でもOBびば君、でーた君が出演。

みんな、本当に立派になったなあ…

 

…と書くと上から目線みたいですが、

僕や、ここの管理人のみんさんや、演出当人のほげ君が

学生時代に、むすび座の作品を観て人形劇に魅了され、

人生も大きく左右されるほどの感銘を受けたように、

ママさん達にもプロの作品を一度観てもらいたい、

人生は左右されなくていいけれど、

プロの人形劇って、こんなんですよ、

と知ってほしい、

そう思って会場入りしたのですが、

期待通りか、それ以上の衝撃をママさん達も受けたようです。

だから、そんな作品を魅せてくれた

ほげ、びば、でーた、

本当にありがとう。

 

そして客席には

卒業してプロ劇団「京芸」に入団した

なぎ、つくーる

も来ていました。

 

京芸で君たちが活躍している作品も

いつか観ますから。

 

僕が下から見上げなきゃいけない高みへ上がっていった

後輩たちの、さらなる活躍と健康を祈っています。

posted by みん at 21:41| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

ラストステージ後のOB会

とーきです。前回の続きです。

 

だいぶつラストステージの会場から車で5分ほどの店で、

最初で最後?の大OB会を開きました。

プライバシーに配慮して

焦点の不明瞭な写真を掲載します。ご了承を。

乾杯の様子です。

意味もなく、乾杯の前に発声練習をしました。

OBで現プロ人形劇団員のほげによるジャグリングです。

これがプロの芸です。お見事。

現役生の、本当に最後の上演「カメ太とカメ男」。

僕にとっては、この日のメインイベントのつもりでした。

この写真は1月8日の項で使用したものの再掲載です。

その劇を観るOB達。

みんな満面の笑みです。そして大爆笑のオチへ。

1990年から2010年までの間に

部長を務めた出席者の記念写真。

20年間から10人出席ってことは

単純に出席率2分の1かあ。

 

わざとピンボケ写真を掲載しましたが、

見る人が見れば、誰だかわかりますよね(笑)

 

このOB会の出席者は

大人(OB。結婚相手さんも含む)約80人、

子供(出席者の子)約20人、

合計で100人くらいでした。

北は北海道から南は九州まで

文字通り全国から集まってくれたOBの皆さん、

本当にありがとうございました。

 

夢のような一日でした。

みんさんも、楽しかったよね〜。

 

posted by みん at 18:39| 愛知 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。